歴史

当サイトでは観光名所や郷土料理などをご紹介していますが、こちらではちょっと視点を変えてマカオの歴史に触れてみたいと思います。現在は中国の特別行政区として知られていますが、もともとは水上居民を中心とする漁業の村だったのです。

ポルトガル人が初めてマカオに上陸

1513年に当時海洋大国として世界でも強い力を握っていたポルトガル人が初めてマカオにやってきます。そして中国の明王朝との貿易を開始しました。

その後、マカオに居留地を得たポルトガルは、そこを日本や中国との貿易拠点としました。日本が鎖国政策をとるまでは長崎との貿易でマカオは栄えました。しかしその後は衰退を続けます。

また、この頃、日本の歴史の教科書に必ずといっていいほど登場するフランシスコ・ザビエルは、ポルトガル政府の支援の下、マカオを拠点にアジア圏でキリスト教の布教活動を行っていました。

ポルトガルの植民地に

時は流れて1845年、大英帝国がアヘン戦争に勝利したことに関連して、ポルトガルがマカオから清の税関官吏を追い出し、1887年には統治権を獲得し正式にポルトガルの植民地としました。

更に時は流れ、第二次世界大戦が終了するとポルトガルの国力が低下し、マカオにわずかな軍事力しか駐留させなくなりました。

中国とポルトガルは話し合いを持ち、植民地として統治することに興味を持たなくなったポルトガル政府は中国へ返還することを決めます。ただ、いきなり返還しても混乱が発生することが予想されたため、即時返還には至りませんでした。

中国へ返還

1987年にポルトガルと中国がマカオ返還の共同声明に調印し、1999年についに返還され、現在のように中国の特別行政区に入ります。その後はご存じの通り、カジノを中心として一気に発展していきます。

観光地として成長

中国のめざましい経済発展によって、中国人富裕層の数が増えたこともあり、マカオには多くの中国人を始め、アジア・北米・ヨーロッパ・アフリカと世界の様々な国々から多くの旅行客が訪れています。

一昔前までは「カジノ=ラスベガス」といったイメージが一般的でしたが、マカオは世界で最も大きなカジノの街となりました。これは特にアジア圏の観光客誘致に成功したことが大きな要因と言われています。

日本人旅行客も例外ではありません。以前はマカオではなく、マカオのすぐ近くにある香港が人気の旅行先として知られていましたが、マカオがカジノの街としての立場を確立すると、香港ではなくマカオに行かれる方も非常に多くなりました。